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佐野の舟橋(さののふなはし) |
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高崎市。烏川沿いに上佐野町・下佐野町等の地名を留めている。一般的な知名度がそれほど高くはないこの「佐野の舟橋」が、実は群馬県の歌枕としては中古・中世和歌において最も愛好されたものであった。なお、主に大嘗会屏風和歌で詠まれた近江国の「佐野の舟橋」詠や、他の「佐野」の地名に触発されて詠まれた「佐野の舟橋」詠については省略する。 『万葉集』巻十四の「上野国歌」二十二首の中に「佐野」の地名は三首に見えるが、「佐野の舟橋」は、 ・かみつけの佐野の舟橋取り放し親はさくれど吾は離るがへ(万葉集3439) の一首に見えるのみである。この歌が「佐野の舟橋」のイメージの源泉となったのである。 平安時代中期になっても、実作の用例はそれほどには増加していない。しかし、『枕草子』「橋は」の段に「佐野の舟橋」が挙げられ、『能因歌枕』に「橋をよまば・・・佐野の舟橋ともよむべし」と記され、また和泉式部が、和泉に佐野の地名が存する事を知らされて、 ・いつみてかつげずは知らん東路と聞きこそわたれ佐野の舟橋(和泉式部続集350) と詠んだ事から察するに、その存在や名称は既に歌人間に広く知れ渡っていたと考えてよかろう。 ・東路の佐野の舟橋かけてのみ思ひわたるを知る人のなさ(後撰619等) ・東路の佐野の舟橋はじめより思ふ心ありいとひすな君(古今和歌六帖2557) 上の二例はともに恋歌であり、「舟橋」そのものが実体として詠まれているのではなく、後撰詠では「かけて」「わたる」と「橋」の縁語を連ね、古今六帖詠は「舟橋」の「橋」が同音の「はじめ」を導く序詞的用法となっている。特に前者は、「佐野の舟橋」を詠む上での一つの典型的な手法と言えるであろう。 平安時代後期、院政期に入ると、「佐野の舟橋」詠がさまざまな多様性を獲得し始めたようだ。 ・東路の佐野の舟橋くちぬとも妹しさだめばかよはざらめや(堀河百首・顕季) ・今さらに恋路にまよふ身をもちてなに渡りけん佐野の舟橋(堀河百首・師頼) ・いかがせん佐野の舟橋さのみやはふみだに見じと人のいふべき(永久百首・忠房) ・夕霧に佐野の舟橋音すなり手なれの駒のかへりくるかも(詞花集328俊雅母) ・さらぬだに道ふみまどふくもる夜にいかで渡らん佐野の舟橋(田多民治集155) 殊更に万葉的な風韻を構成した印象をもたらす顕季詠は、万葉歌同様に、恋人の家を訪れる途中にあるものとして「佐野の舟橋」を設定し、師頼詠はそれを抽象化して、「佐野の舟橋」を相手との逢瀬の象徴のように詠んでいる。忠房詠では「佐野の舟橋」が「さのみ」を同音で導くとともに、「橋」の縁語「ふみ」を用い、俊雅母詠は叙景歌として「佐野の舟橋」を詠み、忠通詠は「舟橋(舟を繋ぎ、その上に板を渡しただけの仮の橋)」の不安定性に着目する、といった具合である。 中世になると、「佐野の舟橋」を叙景的に扱った歌が増加する傾向が窺われるようだが、「内裏名所百首」の名所百題中に選ばれた時には、歌枕としての確立の過程を踏まえたのか、恋題の中に配されている。 ・かけてだに契りし仲はほど遠し思ひを絶えね佐野の舟橋(内裏名所百首・順徳院) ・ことづてよ佐野の舟橋はるかなるよその思ひにこがれわたると(内裏名所百首・定家) ・東路の佐野の舟橋霧こめてよそにのみやは思ひわたらん(内裏名所百首・家衡) ・尋ねてもわたらぬ仲の月日さへ影絶えはつる佐野の舟橋(内裏名所百首・俊成卿女) ・なかなかにかくる心も苦しきに絶えなば絶えね佐野の舟橋(内裏名所百首・知家) ・かけてなほいく世か恋ひんよそにのみ聞きこそわたれ佐野の舟橋(内裏名所百首・範宗) 「かけて」「わたる」、更にこの百首になって目立つようになった「絶え」と、「橋」の縁語を重要な構成要素とする点は、前掲後撰詠と特徴を同じくする。しかし「佐野の舟橋」が、単に技巧上引き合いに出されたのみではなく、実景としての面影を髣髴させたり、二人の関係そのものを象徴したりする点や、「ほど遠し」、「はるかなるよその思ひ」、「よそにのみ」思う或いは聞くといった詞続きに、歌人達が共有していた「東路の佐野の舟橋」に対する意識の反映を窺えそうな点等、後撰詠とは明らかに異なった風趣を備える事にも留意したい。 因みに、この「内裏名所百首」の折に、 ・もらさばや波のよそにも三輪が崎佐野の舟橋かけじと思へど(内裏名所百首・忠定) という一首が詠まれている。「三輪が崎」「佐野」の取り合わせは、明らかに、 ・苦しくも降りくる雨か三輪の崎佐野の渡りに家もあらなくに(万葉集267) に依拠したものであるが、「三輪の崎」に隣接するこの「佐野」は紀伊国の「佐野」であり、「三輪が崎」を「佐野の舟橋」と結合させたこの一首は、意識的か無意識的かは不明であるが、二つの「佐野」を混用している。ところで、上の万葉歌に基づいて、有名な、 ・駒とめて袖うちはらふ陰もなし佐野の渡りの雪の夕暮(新古今集671定家) が詠まれた事は周知の通りだが、例えば『歌枕名寄』の上野国の佐野の項にこの歌が見える事から、定家詠の「佐野の渡り」の「佐野」を「佐野の舟橋」の「佐野」と同一視して、上野国の歌枕とする説が存した事が確認される。高崎市下佐野町に定家神社という神社が残るが、その起源がこの一説にあったであろう事は想像に難くない。 |
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