身近な事跡語る漢文碑

豆腐来由碑(群馬町観音寺境内)
群馬学は、広範囲な視野から群馬の来し方行く末を分析してゆくことによって始めて豊かな成果が期待される。その一つの視点として漢文碑の存在がある。群馬では、七・八世紀の上野三碑が古代群馬の豪族のようすや仏教の普及を知るうえで貴重な史料となっていることは論を待たないが、実は江戸時代の安永の頃から、明治・大正にかけてもかなりの漢文碑が建てられ、文書史料のすき間を補ううえで一定程度の役割を果たしている。ただ記述が漢文であるという取っつきにくさはあるものの、ほとんどの碑石が常に見やすい状態で身近な事跡を語りつつ存在している。
太田市にある子育て呑龍で知られる大光院境内の「上野大光院故信講碑」には、徳川家康の発言として上野の人々の気質に対する評が記されている。大光院を徳川の祖に当たる新田氏ゆかりの寺社として再興するために呑龍上人を選任したいきさつとして「家康は人に、上野の習俗は片意地を張って屈しないこと(強梗)をたっとぶので、その民衆を帰依させるには、豪傑の人材でなければ無理であろう、と語った。そこで上人を選んだ」とある。家康においてすでに、群馬の県民性として「強梗」が認識されていたのである。
また、群馬町の観音寺境内にある「豆腐来由碑」は感動的な碑石の一つである。豆腐製造で財をなした業者が、豆腐の創製者に報いるべく、豆腐の来歴の調査をふまえた上で建てたものである。そして中国の漢代の淮南王劉安と文禄の役の折に朝鮮からわが国へ製法を持ち帰った岡部治部右衛門とをたたえている。これは、わずか八十年ほど前の碑ではあるが、群馬の企業人における、自らの職種に対する誇りの高さとその職種の創始者に対する感謝の思いをゆるがせにしない生真面目な職業倫理の高さとを証す遺物ともなっていくことであろう。(群馬県立女子大学教授)
はまぐち・ふじお 東京都出身。大東文化大卒。東京教育大大学院修士課程、大東文化大学大学院博士課程。博士(文学・筑波大学)。秋田大学助教授を経て、県立女子大学へ。中国古典学専攻。現在、同大教授。著書に「清代考拠学の思想史的研究」など。