群馬県立女子大学
群馬学の確立にむけて

中世歌人と神社

石川泰水

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定家神社(高崎市下佐野町)

 私の専門とする中世和歌は、残念ながら群馬の地と特に深い関わりを持つ分野ではないのだが、中世歌人の名前に由来した名称の神社が県内に少なからず存在しているのはおもしろいことだ。たとえば以前に高崎市の「佐野」について記した時に『新古今集』撰者の一人藤原定家の名を冠した定家神社に言及したが、同じ高崎市の乗附町にはやはり『新古今集』撰者で、定家とライバルのように称される藤原家隆の名に由来したらしい家隆神社というのが存在する。また、現在の高崎市役所のすぐ南には、平安時代末期の武士であり、歌人としても名高かった源頼政を祭る頼政神社があり、更に妙義神社の「妙義」の名も、南朝の後醍醐天皇に仕えた貴族で、『耕雲口伝』など和歌関係の著作を残す花山院長親の法名である明魏に基づくとも言われ、長親は妙義神社の祭神ともなっている。
  この中で由来がもっとも明らかなのは頼政神社であろう。高崎藩主大河内氏の祖とされる源顕綱は頼政の孫にあたり、武人・歌人として名高い先祖を同地に祭ったのである。定家神社が佐野の地に建てられた理由も想像はできる。定家の有名な和歌の一首に

   駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮

という和歌があり、ここで詠まれた「佐野」はおそらく高崎市の佐野ではないのだが、その地名が各地に存在するために混同され、中世には前記の定家詠の「佐野」を高崎市の佐野と考える説もあったことが文献から確認される。その説が根拠なのだろう。
  だが、有力とも言いがたい一説を根拠に、よりによって定家(彼はこの地を訪れたこともない)を祭神とする神社を建て、更にはその関連からか同じ新古今歌人家隆までも引っ張り出してきた、その人々の意識とはどんなものだったのか。唐突に思われるからこそ、なおさら興味深い。(県立女子大学教授)

いしかわ・やすみ 埼玉県出身。東京大卒。同大学院人文科学研究科単位取得退学。昭和61年に県立女子大学に赴任し、現在、同大教授。日本文学専攻、とくに中世和歌の研究を専門とする。著書に和歌文学大系23「式子内親王集・俊成卿女集・建礼門院右京大夫集・艶詞」(共著)。