山村暮鳥の詩鑑賞
和 田 義 昭
岬岬の光り岬のしたにむらがる魚ら岬にみち尽きそら澄み岬に立てる一本の指。初出は大正四年四月発行の「詩歌」第五巻第四号。『聖三稜玻璃』(大4)所収説明的言句を極力排除して、イメージ自体をそのまま提示し、表現は極めて短く、イメージだけで構成する詩法がとられている。このような表現は暮鳥以前のどの詩人にも見られなかった手法で、変革的詩法である。「岬の光り」「岬のしたにむらがる魚ら」「岬にみち尽き」は海中に突き出た岬、その岬が光り耀いている。その光り耀いている岬の下に魚群が群がるという眺望である。これは海と岬の即物的な叙景のように読めるが、実はそうではなく作者の光明思慕の一念、光の世界への強い憧れをイメージ化したものである。それゆえに、続く「そら澄み」「岬に立てる一本の指」では透明な天空に向かって一本の指が立つというイメージで、垂直上昇願望、つまり昇天志向が端的に表現されるのである。このような光明思慕、昇天志向の表白はキリスト教(日本聖公会)の伝道師としての暮鳥の信仰によるものであることはいうまでもない。一方、大正初年は「光」への関心が多くの詩人達の作品に見られる。とりわけ北原白秋の『白金之独楽』(大正3)は光明礼賛の詩的世界の結晶であった。暮鳥は萩原朔太郎室生犀星等とともに北原白秋の傘下で「地上巡礼」や「ARS」誌上に詩作を発表していることから考えて、この詩作品の成立の背後には白秋の光明思慕の詩的世界があることを無視することはできない。楽園寂光さんさん泥まみれ豚ここにかしこに蛇からみ秋冴えてわが瞳の噴水いちねん山羊の角とがり。初出は大正三年十一月発行の「地上巡礼」第一巻第三号。『聖三稜玻璃』(大4)所収。初出での原題は「哀楽園」。この詩は「寂光さんさん……蛇からみ」と「秋冴えて……山羊の角とがり」という二つのイメージ群で構成されている。まず「寂光さんさん」は宇宙の絶対者の放つ光である。その光によって「泥まみれ豚/ここにかしこに/蛇からみ」という光景が映し出される。これは旧約聖書的な楽園を想起させるが、「どろまみれ豚」は汚辱を、蛇は欺瞞を具表するイメージであり、「小僧、職人、書記と転々流れながれた。女を知り、物を盗み、一椀の食物を乞うたことすらある」(「半面自伝」)という作者自身の体験をも含めた汚辱にまみれた哀れな人間存在の縮図である。この泥にまみれた救われ難い人間であることの自覚ゆえに「秋冴えて/わが瞳の噴水」という自己覚醒や、生命力の発露がうながされるのである。「いちねん/山羊の角とがり」とある「いちねん」とは「一念」のことで、自己覚醒への集中力と意志で、後に続く「角とがり」とともに強い生命力、精神力を意味している。そして「山羊」は「豚」や「蛇」の対極にある聖なる存在である。この詩は汚辱にまみれ、欺瞞に満ちているゆえに聖なるものを強く希求しないではいられない暮鳥自身の魂の形象化である。俗なる世界の図像と聖なる世界の映像とを二重写しにする手法が採られている点に特徴がある。春の河たつぷりと春の河はながれてゐるのかゐないのかういてゐる藁くづのうごくのでそれとしられる『雲』(大14)所収。作者が病床で編集したもので、大正十三年七月に入稿し、十一月に校了となったが、翌月の八日に作者は永眠している。この詩は詩集の巻頭を飾る作品であるが、この後には「おなじく」と題して二篇の詩が置かれている。つまり「春の河」は三篇からなっているのである。ゆったりと満ちあふれるばかりに流れる春の大河を歌ったもので、「たつぷりと」と「春の河は」の間には「水をたたえた」という詩句が省略されているのである。ゆったりと流れる春の大河、その大河がたっぷりと水をたたえているので、まるで流れが止まっているようにみえるのである。その流れは浮いている藁がわずかに動いているので知ることができる。目の前にある自然をそのまま写しただけで、題材も詩語も表現も単純化されているが、春という季節の自然の豊かさ、暖かさ、そして天地の悠久さまで感じさせる。あるがままの自然をあるがままに肯定することで、その自然に没入し、融合し、一体となる作者の境地がうかがわれる。当時の暮鳥は結核に侵され茨城県磯浜で静かに療養生活を送っていた。それでも小康を得て、ときおり手帳をふところに散歩に出かけたといわれている。これはおそらく那珂川の河口付近でのスケッチであろう。現存する手帳には「 河 魅力がある/潮がみちて/河は喜んでゐるやうだ/流れないで/静かにたのしく溢れてゐる」と記されている。(『日本名詩集成』1997年学燈社より摘録)