オピニオン21・視点
花袋「再び草の野に」雑感
松 本 鶴 雄
先日、必要があって埼玉県の羽生に行った。田山花袋の小説『再び草の野に』の背景を見ようと思ったからである。この小説は大正八年(一九一九年)に刊行された。何もない利根川べりの草原に鉄道の駅ができ、それを中心に町が開ける。その駅は鉄道の終点駅であった。ところが数年たって利根川の鉄橋が完成し、鉄道は群馬県や栃木県に延びて、その終点駅は廃止の憂き目に遭い、出来たばかりの、にわか仕立ての町はさびれ、いつの間にか廃墟になり、また再び草原に戻るという筋である。アメリカの西部劇にでもありそうなゴーストタウン物語にも似ている。
この鉄道は現在の東武伊勢崎線である。明治三十六年頃の話だ。そのころ東武線は久喜から羽生の先まで延びたが利根川に遮られて、館林まではとどかなかった。間もなく日露戦争も始まり、会社側は資金や株主を募集するにしても、その見通しが立たなかったらしい。鉄橋建設には漠大の資金が必要であった。小説中にも次のようなくだりがある。
「でも、すぐ出来るような話も聞いたが――」
「どうして出来るもんか。あの川に鉄橋をかけるだけで二三十万円はかかるという話だ」
「そうかな」
「この鉄道としては、どうしても野州から上州の機業地に連絡させ、更に運好くば、足尾まで延ばして、あの鉱山の銅を一手に運ぶようにしなければ十分な成績を挙げることは出来ないのだから、どうかしてT川に鉄橋をかけなくちゃならないにはならないんだが、それがまた一難関さ」
そこで人々は鉄橋は半永久的に出来ないと勝手に当て込み、また出来てもこの駅が廃止になろうとは考えず、さまざまな商売が始まり、一二年で田圃や沼地が一夜にして町に変じたのである。館林や羽生の商人や金持ちはその新開地で愛人に店一軒をもたせて、いかがわしい飲食店などを始めた。いろいろな人間がこの新開地に集まった。その人間の集合模様やむきだしの生存欲の闘争を花袋はオムニバス風に、特定の主人公もストーリイも設定しないで、散文詩風にエピソードをつなぐ形の、新しい方法で描いている。
この終点駅は川俣駅である。だが、五年もすると日露戦争後の好景気で鉄道はたちまち完成し、この駅は川向こうの群馬県側に移転した。鉄道も館林から足利方面に延長された。元の新開地の羽生在の川俣駅は廃駅になった。やがて駅前の町も廃墟になった。その場所を探し、行って見たが何もなかった。畑と資材置き場と町工場などがあった。
今もこれに類した話はよく聞く。ある種の産業の盛衰や壮大な国家イベントや新幹線関連で、新しい町が出来たり、それが衰微したり、いつの時代でも同じことを人間の社会は繰り返しているのであろう。その意味で花袋のこの小説は、かえって新鮮であった。
(上毛新聞掲載原稿・オピニオン21、一九九六・三・七)