群馬県出身作家シリーズ 田山花袋
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『定本花袋全集』についての感想
渡邉 正彦
昨年(一九九五年)九月、臨川書店の『定本花袋全集』が全巻完結した。この全集が出る以前は、花袋や花袋の作品に興味を持っている人たちと会うと、全集が出てほしい、とか、出るべきだ、とよく話していたものであった。国木田独歩や島崎藤村の全集がほぼ完備しているのに対し、きわめて遺憾な状態だったからである。
その頃新刊で入手できるのは、岩波文庫の「蒲団・一兵卒」、「田舎教師」、「東京の三十年」、あるいは現代教養文庫の「東京近郊 一日の行楽」、「東京震災記」ぐらいで、後は各種文学全集に入っているものとか、文泉堂書店の、昭和十一年〜十二年の内外書籍の花袋全集刊行会編の全集復刻プラス新輯別巻しかなかった。「隣室」、「第二軍従征日記」や「『野の花』序」、「露骨なる描写」、年譜、参考文献は、もっぱら明治文学全集の花袋編にたよった。 しかし、この復刻版も刊行当時はそれ相応の値段だったが、当時は学生で、花袋の研究をする気持ちがなかったので買わなかった。しばらくして古書の値は急上昇し、それも品薄になってとうてい入手できなくなった。
私などはあきらめてしまって、勤め先の図書館のものを長期貸し出し制度を利用して全巻借り出し、自分の研究室に置いて使っていた。定期的に返還を催促され再三手続きをしなければならないし、他の利用者がいると研究室に借りに来るので、相手も当方でもめんどうであった。そこで、冒頭に書いたようなグチになったわけである。
さらに続いて、花袋の作品数は膨大だから、完全に近い全集は巻数も多くなって、売れないだろう、民間の出版社は採算がとれないだろうから、公的な機関で、国家的事業で刊行すべきではないか、などと言ったものである。たとえば、文化庁とか、花袋の出身県である群馬県の文化事業財団とか、後に出来た館林市の花袋記念館で出すべきである。群馬県は県立美術館に数億円のいわゆる名画たとえばモネの「睡蓮」を入れているし、人口二百万人突破記念に、一億円の予算を支出して小栗康平監督に「眠る男」を撮らせている。これは、花袋全集でもよかったはずである。群馬県下の全小学生は「上毛カルタ」なるものを学校で買わされ、暗記し、カルタ取りをさせられる。その「上毛カルタ」に「ほこる文豪田山花袋」なる一枚がある。群馬県が「誇る文豪」の全集ぐらい県で出すとか出版に経済的援助するとかしてもよい、そう思っていたのである。
それが、思いがけなく、全集が臨川書店から刊行されることになったと小林一郎氏から直接聞いて喜んだ。編者が氏自身であるというのは、全十巻の花袋研究で博士号を取得した氏の業績からして当然である。同時に、十六巻までは内外書籍版の復刻だとも聞き、やや失望したが、これも民間の出版社では、定価を押さえるためには、しかたがないか、と思ったのも覚えている。
しかし、編集は氏が中心になって編集委員会が組織されるのだと思った。花袋研究会の人たち、特に『書誌』を出している宮内俊介氏などはメンバーに欠かせない。 ところが、後に他の人から、編者は小林一郎氏一人だと聞いて驚いた。さぞ大変だろうと同情の念を起こしたのである。それが不安をともなっていたのも事実である。きっと、出版社の方で、あまりにも高価な全集にならないように編集費用をおさえようという方針だろうと解釈した。
そして、小林氏は病に倒れられて、不幸なことに不安は的中してしまった。いったい、U期の新編の刊行の方はどうなるのだろうと危惧したが、これは紅野敏郎氏が引き継がれ、各巻ごとに編集責任者も決まって継続され、完結にこぎつけたのは幸いなことであった。 小林氏も奇跡的に病から回復され、リハビリに専念されるまでになられたことは、まことに喜ばしい。
『定本花袋全集』の第T期第十六巻までの復刻版の方は、文泉堂版にはなかった元版の月報が復刻された。ほとんど見ることが不可能だった貴重な資料である。新編のU期、別巻までを含めての十二巻は、今までは初出や単行本に直接あたるしかなかった六十五編が入ったのは、花袋の読者や研究者にとって画期的である。先に書いたように、復刻版も入手できない状況が続いていたのだから、若い世代の研究者は育ちにくかった。これで花袋研究は大いに進展するに違いない。花袋研究会ではさっそく、この新編に入っているものをテキストにして例会を開いている。
さて、新編すなわち第U期の全集に入ったもので有り難いのは、なんと言っても、大正期の長編小説、初期の小説、小品、評論・紀行それに随筆、童話、和歌、抒情詩が単行本未収録のものを含めて入ったことである。
冒頭で触れた「第二軍従征日記」や新輯別巻に抄禄しか入っていなかった「東京震災記」が第二十五巻に入ったり、第二十三巻に、「重衛門の最後」ぐらいしか元版に入っていなかった、いわゆる赤塩シリ−ズの中の「悲劇?」や「秋晴」、それに「小桃源」とか「隣室」のような初期の重要な作品が入った。特に「隣室」などは、「一兵卒」と比較されて、しばしば論文で取り上げられる作品でありながら、明治文学全集にしか入っていなかった。それに、日露戦争ものである「死屍」「砲弾」も入っている。欲を言えば、この赤塩ものの他の、『村の人』に収録されている「村の話」や、初出でしか読めない「雪の夜に」や、赤塩ものの原点ともいうべき「夕霜」は読売新聞のマイクロリーダーで読むか、そのコピーでしか読めないので、判読しにくく実に苦労するので思い切って入れて欲しかった。初期のものは私などはかえって花袋の持っていた可能性を感じたり、花袋の特性が明確に見てとれるので、私は最も関心を持っている。他に「かくれ沼」とか柳田国男と関連する「かた帆」なども欲しかった。もっともこの二作は雑誌の復刻版でたやすく読めることは読める。しかし、このようなことを言い出したらきりがない、と言われるかもしれない。第二十六巻に、これまた、花袋についての評論や論文でしばしば引用されてきた花袋の重要な評論が入ったのは特筆すべきだろう。「美文作法」の付録として「事実の人生」、「露骨なる描写」、それに「長編小説の研究」、「『野の花』序」、「作者の主観」、「主観客観の弁」、「天なる星地なる少女」、「自他の融合」などが入って、一目のもとに花袋の自然主義論や後期の思想を見渡すことができるようになった。これも欲を言えば、「太平洋」に七回連載された「西花余香」を集めて収録して欲しかった。「太平洋」を私はまだ見ることが出来ないからである。これなどは、ヨーロッパ文学の受容として、比較文学的にも重要な資料であろう。その他、紀行文が第二十七巻、第二十八巻に入って、ほぼ全容が見えるようになったことも貴重である。第二十八巻の「水郷日田」などは、初出の単行本以外には部分しか入らなかったのがはじめてまとめて読めるようになった。さらに欲を言えば、花袋の書簡も一巻欲しかった。
別巻第二十八巻の月報に紅野敏郎氏が編集を引き継いだ苦渋を述懐しておられる。T期が元版の復刻版であったために、U期も各巻の構成をそれにならわなければならなかったことや、収録作品のリストがすでに発表されていたために、それに従わなければならず、思うにまかせなかったことが分かる。氏の言われるように、たしかに「定本」と冠するのには問題がある全集である。一つの全集としては全体の構成が実に混乱していて使いづらいのである。すべてを編年体で配列するか、小説、小品、評論、随筆、紀行文というようにジャンル分けして、その中を編年体に配列するというのが使いやすいのだろうが、それが元版復刻を含んだためにかなわなかったわけである。U期の巻末解説のテキストのヴァリアントの記述は、やっと全集らしいものになったということであろう。
別巻の書誌や索引が詳細で、元版の復刻版のT期の各作品の初出も明記されているから、構成の混乱はかなりカバーされている。書誌、著作年表は花袋研究会の宮内俊介氏、年譜は宮内氏や宇田川昭子、丸山幸子氏によって最新のものが入った。この別巻が、今回の『定本花袋全集』を支える貴重な土台になっている。 別巻巻末の書店編集部の編集後記によれば、定本の名によりふさわしくするために補完を出すことも考えているようだ。ぜひ、実現してもらいたいものである。 とにかく、全二十八巻という待望の花袋全集が出たこと、これは画期的なことであり、各方面にもたらす影響ははかりしれないものがある。