『思出の記』と『不如帰』

平 岡 敏 夫

 蘆花が好きなのはやはり年少のころ、『思出の記』に出合ったからだと思う。敗戦の翌年、兵舎を転用した寮の一室で、期末試験の最中であったにもかかわらず、借りてきたいわゆる円本で『思出の記』を読みはじめたらもうやめられず、とうとう夜が明けてしまったことが思い出される。
 十年も前のことになるが、「東京新聞」に「一冊の本」を聞かれて『思出の記』をあげたことがある。浴衣がけのおおきな写真とともにその一文が掲載されたが、現在、私の二番目のエッセイ集『塩飽の船影─明治大正文学藻塩草─ 』(平成3、有精堂)に収めている。いま読み返してみて、一、二紹介させていただくと、主人公菊池慎太郎の故郷妻篭は、愛子夫人の郷里隈府(現在、熊本県菊池市)であり、ワイフが妻篭となったという説を紹介している。熊本大学へ集中講義に行った折、菊池まで案内して下さった首藤基澄教授の説であるが、これは当たっていると思う。
 「僕の故郷は九州、九州の一寸真中で、海遠い地方。幅一里長さ三里と云ふ『もっそう』の底見たような谷は、僕の揺籃です。」という書き出しは、いま読んでもまことに新鮮で、一人称に「僕」を用い、「僕の故郷は九州、」と名詞形中止法でちょっと休み、しりとり法で「九州」を受けて、「九州の一寸真中で」とつづける。「一寸」といったロぶりや「海遠い地方。」と名詞止めにするところなど、『思出の記』を書きはじめるときの蘆花の心踊りのようなものさえ感じられ、冒頭から年少の読者をひきつけてはなさない魅力的な語りとなっている。隈府の愛子夫人の生家あとや、見渡すかぎりの青田の向こうに名前そっくりの鞍掛山を見たときの感銘はいまも消えない。
 私の蘆花研究としては、『日露戦争後の文学の研究』上巻(昭60、有精堂)で『奇生木』を論じており、宮古の寄生木記念館を訪ねたことも思い出される。現在、ごく近いところに蘆花記念文学館がありながら見学できないでいるのは残念なことだが、『不如帰』の書き出しを読み直してみて、現在の研究の上で思い当たることがあった。「上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色を眺むる婦人。年は十八九。」─これも。『思出の記』と同様、名詞止めがリズムを作っているが、私の関心は「夕景色」である。川端康成『雪国』が「夕景色の鏡」ではじまっているように、「夕景色」の美しさは『不如帰』でも注目したいが、作品が〈夕暮れ〉からはじまっているという点も見逃せない。「夏の夕闇にほのかに匂ふ月見草」と品定めされている浪子が〈夕暮れ〉に登場するところから『不如帰』がはじまっているのは、不幸な運命の序曲にふさわしいと言える。
 書き出しの千明は実在の仁泉亭千明旅館であるという。自分の常宿千明を実名のまま記した蘆花の心を追体験するためにも、近い機会に伊香保を訪れたいものである。『不如帰』の書き出しは春の〈夕暮れ〉だが、古来もっとも親しまれてきた秋の〈夕暮れ〉でなく、春のそれにしたところにも、武男と浪子の束の間の〈青春〉を描きとめておきたかった蘆花の心がわかるような気がする。(徳冨蘆花記念文学館々報「ほとゝぎす通信」2号 平成5.10.15)