[初出・初刊]
[例詩]
陶器の鴉
陶器製の あをい鴉
なめらかな 母韻を包んで
おそひくる青からす
うまれたままの暖かさで
お前はよろよろする
嘴の大きい 眼の大きい
悪巧みの ありそうな 青鴉
この日和のしずかさを
食べろ
[解説]
拓次の詩碑「陶器の鴉」は長方形の黒御影石をコンクリート製のデザインされた台で飾り、詩文の右上方の長方形の白い石版に横書きで「大手拓次詩碑」と刻まれている。
文字は自筆原稿を拡大したもの(全集所収のものと表記、行の配列、句点が異なる)。磯部別館(現在のホテル磯部ガーデン)を父桜井英男(拓次の弟)から継いだ甥の桜井作次(現存 七十九歳)が彫刻家植木茂の設計で大阪で制作し、碓氷川の河原に建て、昭和三十七年に現在の場所である磯部公園に移した。
「陶器の鴉」は拓次が明治末年から原語のボードレールの「悪の華」に惑溺し、それまでの自然主義の影響から抜け出して口語詩を旺盛に作るようになり、早稲田大学英文学科の卒論も「私の象徴詩論」を書き、大正元年の十二月、北原白秋主宰「朱欒」に吉川惣一郎の名で初めて「藍色の蟇」「慰安」を発表し、続いて毎号に出すようになった象徴詩の詩法を確立した時期の作品の一つである。蚕が繭を紬だすように言葉を紬ぎ出し、幻視的、官能な世界の襞の層の内部に自己の魂の安息所を作り出すのが拓次の詩法であるが、「陶器の鴉」もその特色を十分に発揮した作品である。鴉は拓次の詩では蛇ほどではないがなじみの小動物で、「母韻」とは鳴き声である。つるつるした冷たい陶器は詩人の官能性を誘発する。陶製の青い鴉は鳴かないから「包んで」と表現したのだろう。その陶製の鴉に暖かな日が当たっている光景である。もちろん実景の描写と考える必要はなく、陰欝な官能と苦悶の中に閉じ込められている詩人の自我、魂を自ら鎮めようとしているのである。
[文学散歩]
信越線磯部駅を下車、北に徒歩五分ほどの天城神社の境内の奥の、北側の斜面を碓氷川の流れに限られた木立に囲まれた磯部公園に詩碑がある。狭い園内に詩碑、句碑が多く建ち、詩碑公園とも呼ばれている。拓次の詩碑のほか、朔太郎・保田与重郎・神保光太郎の友情碑、室生犀星、北原白秋、吉野秀雄、湯浅半月、川田順らの歌碑、久保田万太郎句碑などがある。拓次の祖父大手万平の胸像も建っている。
「陶器の鴉」の詩碑の右前に全体がテーブルに似た形のもう一つの拓次詩碑がある。「このくるしさに/たへやらで/われは また/いたつきに ふすならむ/ すべもなき いたつきに/いつしらず はかなくならむ/かずしれぬ/かなしきうたを のこしつつ」
結核で孤独の内に死んだ拓次の生涯を象徴する詩として選ばれ建てられたものであろう。
萩原朔太郎は昭和十二年二月十日に日比谷山水楼で開かれた拓次の初めての詩集『藍色の蟇』の出版記念会に出席し、十六日に神保光太郎、保田与重郎同道で前橋に行った。翌十七日にさらに萩原恭次郎、松井好夫を伴って磯部温泉に行き、磯部別館に二泊し、拓次の勤めた「ライオン歯磨」の上司で詩友だった逸見亨と遺稿などを読み、墓に詣で、この詩碑の建設予定地などを見た。拓次詩碑の右横に並んで建つ「拓次をめぐる友情の碑」は朔太郎がこの時書き残した拓次の詩と自作の詩をそのまま詩碑に仕立てたものである。「この日われに/ 耳なくて/そのかげは/ しきりにも/ みだれ咲き」という拓次の詩と並んで「ところも/ しらぬ/山里に/さも白く咲き/て/ゐたる/おだまきの/花」という朔太郎の詩が陰刻されている。裏面には二月十八日の晩の宴席で書かれた色紙をそのまま刻んだらしい、四角な盆の上に徳利と吸物椀、小鉢の図に亨の署名とその上部に「神保光太郎/ 昭和十二年/二月十八日/大手拓次君の墓参の/ 紀念ー/保田与重郎/萩原朔太郎」という寄せ書きがある。
赤城神社の境内の西方向にホーライ館万平ホテルがある。かつては蓬莱館と言い、大手拓次の生家である。ここは拓次の長兄が継いだ。ホテルの前庭に「藍色の蟇」全文を刻んだ詩碑が建っている。ホーライ館の北東に前述の磯部ガーデンがある。
磯部公園の北側に温泉街を迂回する新しいバイパスが出来たが、その道路に面して大手家の代々の墓所がある。正面の大きな桜井家の墓と背中合わせに北を向いて大手拓次の墓がある。拓次の墓の右には笠を付けた古い墓が二つ並んでいる、中央は父宇佐吉と母、右は祖父万平の墓である。拓次の墓は逸見亨が設計し、東京から運んで来た黒い斑の散った角柱型の赤御影石である。北、碓氷川を向いた正面に「大手拓次の墓」、右側面に戒名「大慈院英学拓善居士」、左側面に「明治二十年十二月三日群馬県磯部に生る/大正元年北原白秋氏主宰の雑誌「ザンボア」/に初めて詩を発表 特異の詩人と/して認められてより詩生活に入り独身の/一生を送る/昭和九年四月十八日病没 享年四十八歳/昭和十一年十二月その遺稿詩集「藍色の蟇」、刊行され高評を博す/昭和十四年四月十八日 亨記」とある。墓の後方南西に妙義山のあの独特な岩塊を見ることのできる拓次の墓は磯部公園の詩碑とともに拓次に関心のある人はかならず訪れてもらいたい場所である。
渡邉 正彦
e-mail: watanabm@sunfield.or.jp