萩原葉子(はぎわら ようこ)

松 本 鶴 雄


 萩原葉子は大正九年(一九二〇年)九月、萩原朔太郎の長女として東京に生まれた。朔太郎夫妻は大森時代ダンスに打ち興じていたのが災いして、妻稲子は浮気の誘惑に負け、家を捨てて出奔した。父は世間的には変わり者で子供達に声一つ掛けない。祖母は妹の方ばかりかわいがる。葉子は祖母から「淫乱な母の血をひく醜女」と罵られ、虐待に近い中で少女時代を過ごした。そんな環境からか、暗い青春時代を過ごすようになった。しかし、これが文学者としては大きな財産になった。後にこれらを題材にして彼女は『蕁麻(いらくさ)の家』(昭和51年)を書く。
 どの方面でも有名人を親に持つ二代目の生き方は難しいものだ。しかし彼女の場合は、このようなハチャメチャな家庭がかえって幸いし、それに父とは違うジャンルを志したのがよかった。ともかくそのような二代目的宿命を難無く乗り越えて自分本来の独自性を発揮するようになった。そのきっかけは、山岸外史主宰の雑誌「青い花」に父のことを書いたあたりからだ。それはすぐに筑摩書房から昭和三十四年(一九六九年)『父・萩原朔太郎』として出版され、エッセイストクラブ賞を受賞。これがもの書きとしての出発であった。その後に『木馬館』、父の友人を題材にした『天井の花ー三好達治ー』を書き、新潮文学賞と田村俊子賞を受賞した。いずれもが彼女の少女時代の環境をめぐる合わせ鏡のようなノン・フィクションであった。
 萩原葉子は後に『父・萩原朔太郎』「新版あとがき」で次のように書いている。「不器用で何の才もない私は、書くよりほかに出来ることがなく、もし書くことがなければ今頃どうなっていたことか。それを思うと『父・萩原朔太郎』を書いたことは、私の運命を決定づけた重い意味があった。もしこれを書かなかったらば、生きがいのない人生を鬱々と暮らし、絶望の余り自殺もしかねない」と。朔太郎の家はそれ自体が時代に突出した小説的命題であった。気づいたら、その中心に自分は立っている。この時それを書くことの使命感をようやく彼女は発見したのであろう。
 高名な詩人だが、自分のことは何一つ出来ず、ご飯は幼児のようにこぼしながら食べる。それを一々世話する祖母、また祖母に溺愛されている小児マヒの妹、離別した母の周辺、その中で右往左往する自分。特に北海道まで出掛けて、離別した母を探し、連れ戻して暮らしたりしたことを書いた『花笑み』(昭和50年)。さらにそれらの題材を大きくまとめたてのが『蕁麻の家』であった。ノン・フィクションだが、小説的な結構に優れ、好評を博し女流文学賞になった。また自伝小説『輪廻の暦』(平成八年)はその続編でもある。