No.23.

ある日、国会図書館で

学長/平岡 敏夫

 自宅で論文を書いているとき、不明なことが出て来て、自宅の文献ではどうしようもない場合、すぐ国会図書館へ飛んで行けるというのはありがたいことだ。西武池袋線で15分、池袋から地下鉄有楽町線でやはり15分、永田町で下車すれば、眼の前が国会図書館である。東京に住んでいる強味と言えようが、国会図書館で東京在住の人に出会うよりも、東京以外に住んでいる人によく出会うのはどういうことか。学会とか所用とか上京の折に国会図書館を利用するからだが、灯台もと暗しではないけれど、いつでも行けるとなるとあまり行かないのが図書館であるのかも知れない。
 先日、「松本清張研究」倉創刊号の原稿を依頼されたとき、陸軍軍医総監(中将相当官)・陸軍省医務局長の森鴎外について、松本清張がその絶筆となった『画像・森鴎外』の中で、大正五年退役する鴎外の軍服を脱ぐさびしさを推し量っているのを読んで、ちょっと気になった。軍服を脱ぐということで退役をあらわしたという意味ではなく、文字どおりもう軍服を着用することがないというふうに考えているらしかった。そんなことはないはずで、退役して予備役に入っても陸軍軍医総監の軍服は着用できるのではないかと思ったとき、すぐ国会図書館へと向かった。
 法制資料室へ入ると、30分しか時間がないことかわかった。3時に新宿でアメリカから来た人と会うことになっている。地下鉄で30分かかるとして2時30分には図書館を出ねばならない。該当箇所が記載されていそうな資料が見つかるまで10分かかった。シート式のマイクロフィルムだった。リーダーにセットして写し出すと、何とまさにぴたり該当箇所が出たのだ。「陸軍服装規則」(明治45・2・24、軍令陸第一号)第四十一条である。待命・停職・予備役・後備役の将校、同相当官、淮士官の「其ノ身分ヲ表彰スヘキ場合ニハ在職二準シテ陸軍ノ制服ヲ着用スルモノトス」とあった。これできまりである。次女杏奴の回想にも退役後の鴎外が軍服を着用していたことが出ている。
 すぐメモを取り、図書館を出ようとすると、何とちょうど出ようとしていた約束の人にばったり出会ったのだ。一、二分ずれていてもダメだった。新宿まで行く必要はなくなり、図書館の3階の喫茶室で、たった今見つかった資料について早速話し出したのは言うまでもない。こんなうまい話はあまりないが、図書館へ出かけるとやはり御利益はあるわけだ。

脳の鍛練

国文学科・教授/磯部 明彦

 近頃の学生は本を読まなくなったと言われ続けて久しい。そういう私自身「いそがしい、いそがしい」の理由づけで、あまり読んでいない。それでも、最近2冊の本を読んだ。「パラサイト・イヴ」、「脳を育てる」である。多少、著者等を知っていた事等に興味をそそられたのだろう。両著者共に、理系出身で、一人は大学院修了者(28歳)、もう一人は77歳の大学名誉教授だ。理科系用の心理描写、理科系的論理の展開で話が進行するので、あつという間に、読んでしまったが、意外にも、読書後の私の変化に気がついた。作者の「知的好奇心」に対してである。前者は自分の専門研究以外にも色々興味を示して実行するタイブ。後者は自分の専門研究を深く探究するタイプ。昔は幅広く興味をもって研究するより、間口を狭く、密度を濃くする方が良しとされていた。このような分析が、そのまま両著者に当てはまる気がした。これらの本を書き上げた好奇心が非力な私に論文創作意欲という大きな力を与えてくれた事を考えると活字のもつ威力は実に、偉大であると実感した。芸術、文化というものの価値が現在、低落し、無用の長物のように扱われているが、経済的に豊かな、大学進学率50%にもなろうとしている日本が、このような状況ではとても文化国家とは言えない。芸術、文化の我々への影響こそ、人文科学的環境因子であり、大いに影響を受け一層向上したいものである。

図書館の道

大学院芸術学専攻/森村 光美

 「アメリカの道は効率優先で設計されていて直線的。逆にインドの道は自然発生的で曲線が多い。」というようなことを誰かが書いていた。図書館にはその両方がある。私はしばじは目的とするものを目掛けて突っ走っている。カウンターの前を左折し、辞書・事典類の棚に向かうときなどがそうだ。ところが目的地も定まらぬまま、道草を食み、目の端に入る様々なものに引かれながら、閉館時間に道を塞がれるまでのろのろと歩むこともある。たとえ目的地が決まっていたとしても、行きつ戻りつ、寄り道や回り道を重ねて進むこともある。私は自分の専門から、図版を求めて頁を繰ることが多いが、これは誘惑に満ちた道である。時には日の前の楽しみに心奪われ道を踏み外す。道を踏み外すなどという大層な表現を使うほどのことではないかもしれないが、洋書の収められている層に沈み、美術関係の文献の書架に挟まれて時間を過ごすと、図書館にはブラックホールがあると思いたくなることもあるのだ。ただしそれは甘美なブラックホールだ。そしてまた昨日までの道の続きを今日新たに作りつつ進むということもある。先人の知恵や業績はあまりに大きく、当惑することもあるが、それを伝える書物の存在に感謝しつつ分け入って進むうちには自分の勉学の道も整えられるのだろう。限られた空間に設けられた図書館に、実は多元的に開かれた無数の道がある。どんな道を辿るにせよ、それは私の喜びの連なりとなるだろう。

美学における「近代」とは何だったのか?

ヨーロッパ近代美学の成立と展開にかかわる基礎文献購入にあたって

美学美術史学科・教授/戸澤 義夫

 すでに「芸術」という言葉は、諸芸術絵画、音楽、文芸、演劇はもちろんのこと、比較的最近成立したものとしては写真、映画、つい最近その成立が主張されているものとしては、メディア・アート等−−を包括する概念として使用されるようになって久しいが、この語は元来「技術ars」の意味だったのであり、たとえば、音楽史上、14世紀は‘arsnove’の時代と呼ばれるが、しかしこの時の‘ars’は楽譜を記譜する「新技術new technique」の意味しか持っていず、決してわれわれの言う「芸術」を意味していた訳ではない。そして面白いことに、この語が現在われわれが知っているような意味で用いられるようになる過程は、「美学」が成立する過程と重なるのである。
 この事実は、「美学」が「美」の学というよりはむしろ、近代に成立した「芸術」の存在を正当化する使命を持って歴史上に登場したということを意味している。−−たしかに「美学」は、あちらではギリシャ語の感性を意味する‘aisthesis’が元となって出来た‘aesthetics’‘esthetique’‘Asthetik’であり、「美to kakon」の「学logos」すなわち‘kalonology’‘kalonogogie’‘Kalonologie’とは呼ばれない。−−
 とすれば、すでに『ポスト・モダン(脱-近代)』が叫ばれ、広義の芸術活動においても、このヨーロッパ近代のイデオロギーを背負った芸術概念の解体が進行する今日、わざわざそうした時代の美学関係の基本的文献を収集することは、一見すれば、古くさい、アナクロニスティックな行為であるように思える。たしかにそういう面もあるだろう。「美学」という名は何かしかつめらしく、黴臭く、変わり身の速い現代にはそぐわない雰囲気を持っていることは事実である。
 しかし、「脱ー近代」が単なる流行語に終わるのではなく、何らかの実をもたらすには、やはり、回り道のようでも、そうした「近代」の実像−−それはどのように具体的に闘いとられて来たのか、またどのような意味を持っているのか−−を、今一度ラディカルに問う必要があるのではないだろうか。そうしたヨーロッパ近代を経験した訳ではなく、その成果を輸入するのに懸命だった日本には、とりわけそうした作業が必要なのではないだろうか。
 こうした問題意識に立つとき、今回われわれがすぐ手に取れるようになった基礎文献の数々は、重要な意味を持っている。「芸術」が紆余曲折を経ながらヨーロッパの市民社会の中に受容されていく過程は、ダントー風に言えば、同時に「芸術」という「野蛮sovage」が飼い慣らされていく過程でもあったからであり、「美学」とは、その飼い慣らすという使命を遂行していった権力の走狗だったからである−−あの「しかつめらしさ」「黴臭さ」はそこにその原因がある−−。個々の美学者でそれは具体的にどのようであったのだろうか?興味深い探究課題である。

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