第14回目のスペシャルトークのゲストは、シネマテークたかさきの総支配人およびNPO法人たかさきコミュニティシネマの代表理事の志尾睦子さんです。
学生時代の思い出、映画や恩師たちとの出会い、現職に至るまでのお話を語っていただきました。
学長:シネマテークたかさき総支配人の志尾さんに本日の対談にいらしていただきました。まずは自己紹介をお願いできますか。
志尾:文学部美学美術史学科に1993年に入学しました。1998年に卒業した後は大学院に進みましたが、なかなか専門性を突き詰めることはできず3年で中途退学しました。その後は玉村町教育委員会の教育研究所に臨時職員として入り3年間勤めました。
社会人になってからも在学中から携わっていた高崎映画祭のボランティアを続けており、2004年にNPO法人たかさきコミュニティシネマを立ち上げに関わり、映画の世界に職業として足を踏み入れました。
学長:本学文学部美学美術史学科のご出身ですね。高校生の時に、文学部の美学美術史学科を進学先に選んだ理由を教えてくださいますか。
志尾:前向きな理由ではなくて申し訳ないのですが、高校生の時は県外に出たくて仕方がありませんでした。しかし父からは県内の大学も必ず受けなさいと言われていたので、興味があった県女の美学美術史学科を受験し、ご縁があって入学しました。
大学に通い始めて、実技のレベルが高い学生が多いことに気づき、コンプレックスを感じました。気軽に入ってしまったため、同級生と一緒に勉強していけるだろうかとショックを受けましたね。
学長:「五月病」とも言いますが、多くの新入生が悩み戸惑いながら学生生活を始めているようですね。私もその一人でした。
戸惑いながら授業を受けていたと思いますが、印象に残っている授業などはありましたか?
志尾:専門的なデザインやデッサンの授業はとても楽しかったです。実技は、興味はありましたが下手だったので、課題を提出すると先生から「うーん。」と言われてしまいました。
コンプレックスを感じていた時に、「志尾さんは、デザインではなく美学の方だよ。作るというより、物事に対してどういう見方をするのかを考えることが好きだよね。」と言っていただいたことがありました。その言葉が未だに残っていて、自分の糧にしています。
他には、一般教養の哲学の授業も印象に残っています。植村先生が現代思想の講義の時に、物の見方や考え方、フェミニズムや心理学を、映画を通して教えてくださいました。その時は、授業で映画を観たということが強く印象に残っていましたが、その映画がその後の様々な興味に結びついていったと思います。
大学を辞めたいと思い悩んだ時期
志尾:実は大学に通えない時期があり、2年間は、ほぼ単位を取っていませんでした。好きな授業は受けていましたが、「出席していないのに試験だけ受けて単位を取ることは違う。」と思っていました。
事務局に退学届をもらいに行った時に理由を聞かれ、「自分に合わない。」と答えたところ、「学年の先生もしくはカウンセラーの先生に相談して下さい。」と言われました。先生を待っていた時、日本美術史専門の大石先生が「どうしたの?」と声を掛けてくださり、2~3時間ほど私の話を聞いてくださいました。そして、私の考えは間違っていないと肯定してくれました。「転んだままはもったいないけれど、転んだ時に何かをしてもいいのかもしれない」と思い直し、翌週に大石先生に会いに行って大学を続けることを伝えました。
その後、戸澤先生や北野先生に面談に行くと、「こんなに単位を取っていない学生はいないよ」と言われてしまいましたが、たまに出ている授業のレポートから、勉強は好きなことは分かってくださったのだと思います。
戸澤先生が「君は考える力があるから、自分の考えに則ってやればいい」と言ってくださったことや大学院の試験の時に「志尾の考える力を買って入れるから」「君は好きなことを見つけて、そこに向かっていける人だから」と言ってくださったことを覚えています。
北野先生からは「経験値でしか乗り越えていけない人だと思うから、とにかく経験をしなさい」「本能や才能を望んでいると思うけれど、経験で努力を積み重ねるしかない人だと思うからそう思った方がいい。僕は、そこは憧れるところだよ。」と言っていただきました。先生方の言葉ひとつひとつを未だによく覚えています。
学長:良い先生方に出会えましたね。
志尾:本当にそう思います。今だから分かりますが、メンタル的に落ち着かない時期だったと思います。自分の置き場が分からない遅い思春期のようなものだったのでしょうか。なぜあんなに悩んでいたのかと思うくらい、とにかくバランスが悪かったですね。
学長:精神的に苦しい時期があったからこそ、北野先生が仰っていたように経験値として積み重ねてこられた今があるということも言えますね。
映画との出会い
志尾:先ほども申し上げましたが、植村先生の授業で映画に出会い、その後、演劇学や文芸学専門の北野先生のゼミに入りました。演劇を学びたいとゼミの戸を叩きましたが、北野先生は私が映画をよく観ていることを覚えてくださっていたみたいで、研究テーマを映画にするように薦められました。
ロードムービーのアイデアをいただいた時から映画が面白くなり、映画の世界にのめり込んでいきました。卒論はヴィム・ヴェンダース監督の初期の三部作を、空間と時間をキーワードにして読み解く論文を書かせていただきました。
学長:卒論執筆には達成感というか充実感がありますよね。論文を書くのは大変でしたか?
志尾:大変でしたが、自分の考えを文章化していくことにより、考えが整理されていくという経験をしました。よく分からないまま書いているのですが、書いていると自然と筆が進み、自分の中の深い考えが文字で形作られていくことを初めて経験しました。
学長:それが大学教育の中心となる部分だと思います。ご自身の力で、先生方と一緒に達成されたのですね。
志尾:苦しかったですが、非常に楽しい作業でした。
当時はパソコンを使い慣れておらず、論文の書き換えを行った際にデータを消してしまうというハプニングもありました。提出期限の2日前に最後の結論の部分を、記憶を呼び覚まして書き起こしました。あの時は先生を冷や冷やさせてしまいましたね。
学長:大学での学びとともに、高崎映画祭のボランティアをなさっていましたね。そのきっかけは何だったのでしょうか?
志尾:大きなテレビがほしいと思っていた時、大学の掲示板に「テレビを買いませんか?」と書いている学生がいたので、コンタクトを取ったんです。その学生が高崎映画祭のボランティアをしていて、私の卒論の話から「映画祭のボランティアスタッフをやってみない?」と誘ってもらったことがきっかけでした。
ボランティアスタッフは学生が多かったのですが、年齢の離れた人や社会人と一緒になって活動をしました。大学では女子特有の集団意識に馴染めないことに悩んでいましたが、大学の外に出ると、年齢も性別も関係なく、実力で何かを積み上げていくことができることを学びました。
"思いを継ぐ" 新しいリーダーの形
学長:そして、この度は一般社団法人コミュニティシネマセンターの代表理事にもなられたということで、全国組織のトップに立たれましたね。
志尾:創設者の堀越謙三さんや前理事長の田井肇さんというミニシアター界で神と言われたトップが続いていたので、私はカリスマ的なタイプのリーダーにはなれないと思っていました。カリスマにはなれませんが、横並びに並んでいる中で手を上げて発言することはできると思い、上映仲間の皆さんには「一緒に和気藹々とやっていきましょう」とお伝えしました。
実は、シネマテークたかさきの前総支配人の茂木さんが亡くなった時、私に総支配人は務まらないと思っていました。ですから、周りの方に「茂木さんの後は志尾だと思っていた。」と言われた時は、本当にびっくりしました。
私は茂木さんのようなカリスマにはなれませんが、映画が好きで映画好きの仲間と一緒にやってきたという自負だけはありました。"映画や芸術に関わりたい人が自分たちのやりたいことを地元で実現させることができる場所を作りたい"という茂木さんの思いを継げる人は誰か?と考えた時、"継ぐ"そういう意味では私なのかと心の中で覚悟をしました。
学長:お話を聞いていて、新しいリーダーの形を志尾さんがご自身で作り上げてこられたことを感じました。これからはそういう新たな形のリーダーも増えていくのではないでしょうか。様々なタイプのリーダーの存在が当たり前の社会になっていくと、もう少し生きやすい社会になりそうですね。
今のお仕事を通じて、気をつけていることはありますか?
志尾:二つあります。
一つ目は経営者になると現場の人たちと感覚的にずれが生じてくると思いますので、現場をきちんと見て、いつまでも現場の気持ちがよく分かる経営ができるよう気をつけることです
二つ目は、感性が廃れないよう維持することです。昔は好きな映画をたくさんの人に届けたいということだけを考えていましたが、経営や運営に集中しすぎると、映画から離れてしまう時間が多くなってしまいます。映画と共に生きるということは、常に自分の感性を磨き続けることだと思いますので、感性が廃れないように、映画を観るのはもちろんですが、本を読み、音楽を聴き、絵画を見たり、芸術文化や自然に触れる時間も必要だと思っていて、思慮深く生きる時間を持つことを常に心がけています。
悩んでも心配しなくていい
学長:自分磨きは今でも続けていらっしゃるのですね。今振り返って、学生時代にしておけば良かったこと、学生時代しかできない自分磨きはありますか?
志尾:海外に行くことですね。35歳を過ぎて初めて海外に行ったのですが、20代の時にもっと行っておけばよかったと後悔しています。
日本のことだけを見ていると、視野が狭かったということを痛感するんですよね。もちろん世界中で色々な人達が生きていて生活していることは、映画から教義を受けていますけれど、「あの時の描写はこういうことだったのか!」と実際に海外の現地で体験や経験することによって理解が深まることがありました。
それから、コミュニケーションを取るという意味では、語学の勉強ですね。映画を突き詰めていくと、全く知らない土地の人と映画で分かり合えることに気づきました。ただ、更にコミュニケ-ションを図るには、語学を習得することがとても大事だと思います。
学長:最後に、学生へのメッセージをお願いします。
志尾:今過ごしている時間が、「意味があるのだろうか?」と感じることもあると思いますが、皆さんがやっていることは、いつか絶対的な糧になるので、思いのままに伸び伸びと学生生活を送ってほしいと思います。
学長:学生時代は、かけがえのないものですよね。
志尾:本当にかけがえのない時間だったと思います。キャンパスライフは1人で過ごしていましたけれど、その時の思慮の時間は、すごく大事だったと思います。
学長:学生時代に一人で悩んでいらした時期があったなんて、今の志尾さんから感じたこともありませんでした。大学に入学して、周りと上手くいかないという学生や目標を失い将来に漠然とした不安を持っているという学生は多いと思いますが、「心配しなくて大丈夫。」と伝えたいですね。
志尾:就職活動も同様に、私はやるべきことに何一つ乗ることができませんでした。
頭では分かっていても、気持ちが全く動かずにいました。周りはどんどん進んで行くのに自分だけ置いてきぼりで・・・。何をしていいか分からず全然動けない時期もありましたが、「心配しなくていいよ。」と先生方に言っていただいて本当に救われました。
スタートは遅かったのですが、今は自分の好きなことを見つけて、皆さんと共に社会貢献ができるようなことを曲がりなりにもやっております。
大学時代は人より2倍3倍悩む時間が長かった分、今は悩んだ後の楽しさや充実感の方が勝っていますね。
プロフィール
NPO法人たかさきコミュニティシネマ 代表理事
シネマテークたかさき 総支配人
一般社団法人コミュニティシネマセンター 代表理事
志尾 睦子
1998年に県立女子大学の文学部美学美術史学科を卒業後、同大大学院に進学。
大学院在学中から高崎映画祭にボランティアスタッフとして参加し、2004年にNPO法人たかさきコミュニティシネマの設立およびシネマテークたかさきの開館に携わる。2014年にNPO法人たかさきコミュニティシネマの代表理事およびシネマテークたかさきの総支配人に就任。2023年に一般社団法人コミュニティシネマセンターの代表理事に就任した。